とぅーす!
三代目ストナンの【鬼】こと、ふりーまんです!
今日はまったくナンパや恋愛と関係ないが、読めばちょっと頭が良くなる(かもしれない)話。
「いじめ」の話から入るが、いじめ問題について語りたいわけではないので、ちょっとだけ我慢して読んでみてほしい。
「いじめられる側にも原因がある」というのは事実(現実)
学校でのいじめ問題に関する意見に「いじめられる側にも問題がある」というものがある。
これを聞いて嫌悪感を剥き出しにする人もいるだろう。
自分も聞いていい気はしない。
だが、残念ながら、これはどうやっても捻じ曲げることができない事実である。
考えてみてほしい。
大谷翔平くらいガタイが良く、成績も学年トップ、しかも喧嘩も強い奴がいじめられることはあるだろうか?
200%ない。
一方、ちょっと言動が変わっていて、コミュ力も低く、成績もいまいち、喧嘩も弱い。
こういう子は残念ながらいじめの標的になりやすい。
いじめの本質は“弱いもの”いじめであり、強いものをいじめるというのはそれ自体矛盾している。
人間は社会的な動物であり、原始の時代からグループを作って生活していたので、グループの中で異質なものが排除されるということはよく起こる。
学校でのいじめも、そういう人間の本質が根本にある。
異質なものが弱ければ、十分グループから排除する対象になりうる。
(異質でも強ければ(腕力に限らず知的強者でもよい)、排除されにくい)
これは残念な現実であり、「いじめられる側にも(異質さや弱さという)原因がある」というのは、論として完全に正しい。
「いじめられる側にも原因がある」という事実を盾にいじめを肯定する愚か者
さて、ここからが本題。
さきほど「いじめられる側にも原因がある」と書いたが、「いじめられる側にも原因がある」と言う人の大半は、口には出さないにせよその裏には「だからいじめが起こるのは仕方ないし、いじめをなくそうという努力は無駄だ」という主張を隠し持っている。
よくある間違った論法の一つがこれ。
「Aは事実である。だからAは正しい。」
これは単に現状を追認しているだけの、間の抜けた主張である。
現状を追認するだけでは、人類の進歩も社会の改善もあったものではない。
例えば、江戸時代には職業選択の自由はなく、農民に生まれた子は武士になりたくても農民になるしかなかった。
その現状をただ追認し、「そういう世の中なのだから仕方がない」と思う人しかいなかったら、日本は今でも封建社会のままだったろう。
結局、この手の現状追認の主張は、わかったような口を利いてはいるが、何も言っていないに等しい。
「男女同権」は倫理的に正しいことを理由に男女の差異を認めない愚か者
これと真逆のケースもある。
それは「Aであるべき」(あるべき論)から「Aである」(事実)に飛躍するというもの。
例えば「男女同権」。
「男女同権」というのはあるべき論だ。
自分は男だが、これには大いに賛成である。
だが「男女は同権であるべき」というあるべき論から「男女に遺伝子的な差異はない」と飛躍した主張をするは、あるべき論に囚われて事実を客観的に見ることができていないので、愚かとしか言いようがない。
(「Aであるべき」から「Aである」に飛躍するのとは若干異なるが、「戦争反対」から「戦争をする気がないなら軍隊は不要である」という主張にすり替えるのも、軍隊を持つことによる抑止力という現実を無視している点で同類である)
クズはモテる???
「事実(現実)」をそのまま「あるべき論」として主張したり、「あるべき論」を元に現実を無視した主張をするというのはよく見られる。
世の中、いろんな人がいろんなことを言っているが、視点を一段上げてみると、この手の誤った言説が山ほど見つかるだろう。
ナンパ・恋愛界隈に絡めれば、「クズはモテる」(事実(現実))→だから「モテたかったらクズになれ」(あるべき論)という馬鹿げた主張これに近い。
そもそも「クズはモテる」という主張自体、因果関係と相関関係を理解できていないバカによる誤った現実認識なのだが、それについては別途書こうと思う。
本日は以上!