意識はどこに存在するのだろうか…

雑記

とぅーす!

ふりーまんです!

 

今日は久々の更新のくせに、恋愛やモテと全く関係のない話…。
(また、書き方も「ですます調」に変更してみました。)

 

「意識はどこに存在するのかなー」と、ふと、そんなことを考えました。
もちろん答えは知らないし、その問いをとことん追求しようという、堅い意志もありません。

で、ちょっと考えただけなんですが、一つ言えそうなのは、この三次元空間(時間を入れると四次元空間)にはなさそうだ、ということです。

 

人は日々、いろんなことを意識したり考えていますが、それは主に脳の働きだと言われています。
ですが、人の脳味噌をいくら詳しく外側から観察しても、「意識していることや考えている内容」を外側から見ることはできません。
(以下、意識していること、考えていること、感じていることなどをまとめて「意識」とします。)

脳内の電気信号が「意識」なるものを生み出しているとしても、外側から観察できるのは、電気信号の動きだけです。
そういう意味では、意識が本当に存在するのかどうかって、結構あやふやです。
とはいえ、「我思う、ゆえに我あり」じゃないですが、科学的な証明は難しくても、私という「意識」が存在すること自体は確からしく思えます。
(意識自体が、人間より高度な生命体によって作られた、いわばAIみたいなものだったりすると、話は違ってきますが…。)

 

さて、意識は確かに存在はするようだけれど、この三次元空間では知覚できない。
見ることも、聴くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触ることもできない。

となると、意識はこの三次元空間ではなく、もっと高次元の世界に存在しているんじゃないか、と考えられそうです。

そして、この世界よりもっと高次元の世界にあるので、意識はそのままでは表現できません。
(=意識そのものを、そのままの純粋な形でこの世界に下すことはできない。)
三次元空間の図形は、そのままの形では二次元に落とすことはできない、というのと同じようなものです。

では、意識したことは、どうやってこの世界で表現できるのか?
それは、言葉や音楽、美術など(コミュニケーションにおけるノンバーバルな表現なども含みます)、この世界で知覚できる形に置き換えて表現する、と言えそうです。
つまり、言葉や音楽、美術など、この世界における「表現」は、高次元な空間に存在する「意識」の「写像」ではないかな、と。

 

言葉でもなんでもいいのですが、それらは高次元な空間に存在する「意識」の「写像」に過ぎないので、表現されると、どうしてもそこからそぎ落とされてしまう情報が出てきます。

自分の意識したこと(思考なども含む)を表現するには、例えば、言葉なら言葉という道具に頼らなければならないのですが、その道具を使って意識の内容をこの世界で表現すると、必ず捨てられてしまう情報も出てきてしまい、内容を100%そのまま伝えることはできない、というジレンマが生じます…。

 

自分の意識(や感情・思考等)を表現するのは難しい、ということはいろんな人が言っていますが、意識がこの世界より高次元な空間にあるからだ、と仮定すると、その理由もうまく説明ができそうだ、と思った次第です。

まぁ、浅い考察ではありますが、ちょっとそんなことを考えたので書いてみました。

 

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